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問い通り左側の歩道で歩をすすめると、最初に天台宗『養寿院』(台東区上野桜木1-15-3)があります。小さいながらも、門構えなどに古さと格式が感じられる寺院です。養寿院に近い向かい側には、『日展』(台東区上野桜木2-4-1)の建物があります。日本美術の振興のたまに開かれた日展。ここには、近代から現代までを代表する日本画、洋画、彫刻、工芸美術と多岐にわたる美術品が展示されています。こちらも時間があれば是非よっていただきたい。
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日展を過ぎて、少し行ったところに、明治十八年に地蔵山総本尊を建立した『浄名院』(台東区上野桜木2-6-4)があります。境内に一歩入ると、埋め尽くすほどのお地蔵さんの数に驚かされます。台東区の資料によりますと、寛文六年(1666年)寛永寺三十六坊のひとつとして創建されたのち、享保八年(1723年)、現在の浄名院と名称を変えたそうです。
通りから一段下がったところにある表門は享保年間(1716年から1735年の間)の建立といいます。明治に入ってから、第三十八世妙運和尚の代に、一千体の石像地蔵菩薩の建立を発願し、明治十二年に願が満ちると、八万四千体の大誓願にすうすんだそうです。『浄名院』を出てすぐにある信号を左にそれるとあるのが、東叡山『寛永寺』です。
門から入ると石籠が並び、巨木が生い茂り、言問い通りの喧噪から離れ、本当に静かで神聖な雰囲気が漂います。『寛永寺』は江戸時代寛永二年(1625年)、三代将軍家光のときに、天海僧正により建立され、徳川家の菩薩寺として長く栄華を誇っていましたが、慶応四年(1868年)彰義隊の戦争で、そのほとんどを焼失してしまいました。当時の寛永寺は、東京国立博物館の池のあるあたりが境内だったそうです。現在の本堂は、川越喜多院の本地堂を移したものです。もともと寛永寺は上野公園一帯を締めるとてつもなく広い敷地をもつ、巨大な寺院だったそうです。
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寛永寺をあとにして、言問い通りに出たら、左へさらに進みますと、古い商家を移築し、現在台東区立下町資料館として公開されている『吉田屋酒店』があります。この建物は、明治時代の建造物で、江戸商家の建築様式を伝えるものなのだそうです。中には、この建物が商家だったころの古い写真や、酒樽、また、台東区内外の方々から寄贈された資料や写真が多く収蔵されています。上野・谷中歴史の町散策コースといったパンフレットも置いてあります。ちょっと、面白いところですから、ぜひお立ち寄りください。
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